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カーロス グレイシー Jr.

たった1つのスクールから世界600ヶ所のスクールへ

1986年、マスター カーロス Jr. はリオデジャネイロに初の グレイシーバッハ スクールを開きました。そのたった1つのスクールから着実に数が増え続け、今ではヨーロッパ、オーストラリア、日本、ブラジル、アメリカ合衆国と世界600ヶ所のスクールにもなる組織にまで成長しました。

まずマスター カーロス Jr. は、各国各地のスクールでインストラクターとしての資格を取る事で雇用の機会をオファーするシステムを整備しました。グレイシーバッハの名前を世界に広めると共に、その地域で生きる人達に柔術の楽しさを教えながら、かつ就業や教育のサポートを目指したのです。

そのようなグレイシーバッハの方針は国際的にも注目され、世界中から多くの人々が集まるようになりました。2005年にはアメリカ・カリフォルニア州にブラジル以外の地域で初となる道場を開きました。マスター カーロス Jr. の夢は、柔術を世界の人々により知って貰う事。その為に世界各国様々な場所にスクールを設立していったのです。

このように世界的に成長していったグレイシーバッハですが、その数が増えていくのに伴い、どのスクールにも高いクオリティーで同じデザインの道衣が必要となりました。更にどこにおいてもマスターカーロス Jr. の教え方と哲学を生徒達に教え、また同じトレーニングを行う必要があったのです。それは共通の道衣なしに出来る事ではありませんでした。

「グレイシー バッハで私たちが着る道衣には、チームの精神と私たちが何の為に闘うのかという意味がこめられている」
~ カーロス グレイシー Jr.


その為にユニフォームを制作するチームを編成し、そのプロジェクトに抜擢されたスタッフが最先端のデザインとアイデアを駆使し、最初の道衣を作り上げました。この道衣は、マスターカーロス グレイシー Jr. が掲げる「地域に1つのスクール」という目標を実現する為の重要なものの一つとなりました。

その為にユニフォームを制作するチームを編成し、そのプロジェクトに抜擢されたスタッフが最先端のデザインとアイデアを駆使し、最初の道衣を作り上げました。この道衣は、マスターカーロス グレイシー Jr. が掲げる「地域に1つのスクール」という目標を実現する為の重要なものの一つとなりました。

2003年には現在ある道衣とラッシュガードが制作され始め、主にグレイシーバッハのメンバー達に愛され続けているのです。現在グレイシーバッハ オフィシャル道衣の為に独自の組織が編成され、スクール、インストラクター、生徒の活躍をサポートしています。

グレイシーバッハの柔術競技へのアプローチ

マスターカーロス Jr. は様々な柔術の大会を開催し、同じカリキュラムで学んだ生徒達が柔術を競い合う場を提供しています。彼の父が1920年代に柔術を世界に広めるために始めた方針を模倣し、様々な人々が集まる大会を各地で開催したのです。

COMPNET大会は、2008年にアメリカの道場で行われた子供の為の大会でしたが、驚くべき数の少年少女、そしてその父兄が小さな道場に集まったのです。その後「同じような大会をもっと開いて欲しい」との要望がメールで多く集まるようになり、トーナメント開催を増やし続けていく決断に迫られました。

GBCN(グレイシーバッハ コンペティション ネットワーク)はグレイシーバッハのアスリートで運営される組織です。GBCNが開催する大会では、選手とスタッフは誠実性、兄弟愛、そしてスポーツマンシップを重んじ、審判は常に安全性を第一に競技を進めます。現在、GBCNが主宰する大会が、カリフォルニア、テキサス、オーストラリア、パラグアイで行われています。

グレイシーバッハ以外でのマスターカーロス Jr.の活躍

マスターカーロス Jr.は、グレイシーバッハの総帥以外にもブラジリアン柔術の世界において最も知名度の高いIBJJF(国際ブラジリアン柔術連盟)の創設者・会長として活躍しています。

1990年には、柔術とその大会の周知を目的に、「グレイシー新聞」を発行。現在では「グレイシーマガジン」として柔術の発行物としては最も有名な雑誌に成長しました。

日々の柔術のトレーニングに加え、様々な分野で活躍し多忙なスケジュールをこなしていますが、週に一度、リオデジャネイロの山や、フロリアナポリスの砂丘、ラグナニゲルの階段を登り、厳しいトレーニングをする事を忘れません。グレイシーダイエットを守り、柔術を世界中の人々に伝える為に全てのエネルギーを傾注し、生きているのです。